父の目
父は昭和34年8月にここ板宿の地で歯科医院を開業しました。
開業する前は秋田の病院で勤務し、そしてそこで母と知り合ったそうです。
私はこの開業した年、そして開業した月に産まれました。
一年前には兄が生まれていたので小さな子供2人の面倒を見ながら母は父の手伝いをしていたそうです。
当時は歯科医院が少ない時代、それはそれは忙しかったそうです。
早朝夜が明ける前から順番待ちの列ができ、その日の診療が終わるのが夜中零時を回る日もあったそうです。
そんな忙しい状況を見ていた叔父はその当時の忙しさをこんな風に表現していました。
光広(私)は自分でおしめを替えとったよな!!
って
とにかく父は厳格な人でした。
父と話をするときは必ず怒られている時でしたね。
目を見ながら父と話しをすることなんて全くできませんでした。
怖い父でしたが全然嫌いではなかったですし、小さなころから私は父の事を尊敬していました。
確か小学生の頃の文集に、
僕の将来の夢はお父さんのような立派な歯科医師になることです。
って書いた記憶があります。
私が歯科医師になってからそして一緒にこの医院で働くようになってからも、父が怖くて目を見ながら話せなかったです。
流石に大声で怒られることは少なくなっていました。
でも怒られることがゼロではなかったですね。
一緒に働くようになってから知った事実。
それは衛生士教育に生涯をかけていたことでした。
診療は私に任せて東京まで会合に毎週のように行っていました。
兵庫歯科学院では長年校長を務めながら、衛生士の地位向上のためには教育そのものから変えないと駄目だという信念のもと、2年制から3年制の教育に変える為に尽力していました。
多くの方々の協力支援のもと、
平成22年4月1日までにすべての衛生士養成機関は、3年制以上になりました。