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2人の自分

 

最近不思議な感覚に見舞われていました。

2人の自分がいるという感覚です。

9月21日で時間が止まってしまった自分。

そして普通に日常を送っている自分。

普通に日常を過ごしている自分にとって、時間が止まってしまっている別の自分がとてももどかしく仕方ありませんでした。

 

早く追いついてこい!!

 

って

 

でも今は止まってしまっていた自分は居ません。

自分にはまだまだやらなければいけない事があります。

そしてやりたい事もいっぱいあります。

さらに守っていかなければいけない事もまだまだあるって気づかされたからです。

 

スコップで泥をかき出すあの姿を見ていたら立ち止まっている自分が恥ずかしいです。

私にできることはまだまだあるはず。

そして私を必要としている人が一人でもいるはず。

ですよねぇ。

ファイト!!!

 

今回の豪雨災害に会われた方々にお見舞い申し上げます。

そして亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 

去年の7月に小屋浦へボランティアに行かせてもらった時、被災地の冷蔵庫から出てきた腐ったトマトを見た時のあの時の感情を忘れたらだめだって自分に言い聞かせています。



 

たった10分の教え

 

2年前、品川で行われたセミナー

このセンナ―受講後ガラッと変わった治療方法があります。

でもこのセミナーの内容とは少し違う方法でした。

この時の講師の先生と休憩時間にトイレの前で話させてもらったわずか10分間に将来変わるであろう治療方法を教えていただきました。

その10分の指導をこの2年間続けてきました。

以前に比べて治療成績が上がったのは紛れもない事実です。

その講師の先生が私に話してくれた内容でのセミナーを行うと聞き受講してきました。



 

何度かメールでやり取りをさせてもらっていたので私の事を覚えてくださり再会を喜び合いました。

私の顔を見るなり、

「先生そんな髪形でしたっけ?」

って

ラグビーワールドカップ仕様の髪形に変えたところだったので目についたんでしょうねぇ。(^-^;

 

私が2年間先生の教えを守ってやってきたことは間違いではなかったと確信すると同時に、さらなるテクニックも学ばせていただきました。

とても価値ある1日でした。

父の目(3)

 

9月21日(土)の午後6時ごろから23日(月)の午前10時ごろまで、

ずーーーーーと父の顔を見ながら話をしました。

今まで言えなかった父への感謝の気持ちであったり、

愚痴や不満もぶちまけて話しました。

最後は何も心配せず安心してくださいと伝えました。

 

でも一度も父は目を開けてくれませんでした。

優しい顔で目を閉じたまま私の話を聞いていましたねぇ。



 

地域医療そして衛生士教育に一生をささげた父。

皆様には大変お世話になりました。

父に代わりこの場でお礼を述べさせていただきます。

 

ありがとうございました!!

 

善本秀知 享年95歳

父の目(2)

 

平成6年に善本歯科医院の院長が父から私に交代しました。

その翌年にあの大震災が・・・

父の妹と義理の弟が亡くなり、もう一人の妹も頭を骨折して入院。

親戚は腰を骨折して入院。

父の生まれ育った実家であるお寺は全壊。

そしてここ善本歯科医院も半壊の被害を受けました。

 

父はずっと泣いていました。

私が見た初めての父の涙でした。

小さな体にポッコリお腹のスーパーマンと思っていた父の姿はそこにはありませんでした。

そんな姿は私の知っている尊敬している父ではないと、

私は父の目を見ることも、父の姿を見ることも避けてしまいました。

 

医院の再建は私に任せ、父は実家であるお寺の再建に尽力し、そして衛生士協議会の為東京へ行き来するようになり本来の父の姿に戻ってきました。

眼光鋭い父の目は苦手ですが、父の怖い目をまた直視できなくなってしまったことが、何となく嬉しかったですね。

 

82歳で父は歯科医師を引退しましたがその後も東京への会議へは出席していたかな?

この頃の父は優しい目をしていましたが、何となく恥ずかしくて目を見て話しをすことができませんでしたね。



 

 

父の目

 

父は昭和34年8月にここ板宿の地で歯科医院を開業しました。

開業する前は秋田の病院で勤務し、そしてそこで母と知り合ったそうです。



 

私はこの開業した年、そして開業した月に産まれました。

一年前には兄が生まれていたので小さな子供2人の面倒を見ながら母は父の手伝いをしていたそうです。

当時は歯科医院が少ない時代、それはそれは忙しかったそうです。

早朝夜が明ける前から順番待ちの列ができ、その日の診療が終わるのが夜中零時を回る日もあったそうです。

そんな忙しい状況を見ていた叔父はその当時の忙しさをこんな風に表現していました。

 

光広(私)は自分でおしめを替えとったよな!!

 

って

 

とにかく父は厳格な人でした。

父と話をするときは必ず怒られている時でしたね。

目を見ながら父と話しをすることなんて全くできませんでした。

怖い父でしたが全然嫌いではなかったですし、小さなころから私は父の事を尊敬していました。

確か小学生の頃の文集に、

 

僕の将来の夢はお父さんのような立派な歯科医師になることです。

 

って書いた記憶があります。

私が歯科医師になってからそして一緒にこの医院で働くようになってからも、父が怖くて目を見ながら話せなかったです。

流石に大声で怒られることは少なくなっていました。

でも怒られることがゼロではなかったですね。

 

一緒に働くようになってから知った事実。

それは衛生士教育に生涯をかけていたことでした。

診療は私に任せて東京まで会合に毎週のように行っていました。

兵庫歯科学院では長年校長を務めながら、衛生士の地位向上のためには教育そのものから変えないと駄目だという信念のもと、2年制から3年制の教育に変える為に尽力していました。

多くの方々の協力支援のもと、

平成22年4月1日までにすべての衛生士養成機関は、3年制以上になりました。