白杖をもった先生
中学生の時私に、
“あたま”
というあだ名をつけたやつがいます。
頭が良いからではなく、
私の頭が大きから、
あたま
と付けられました。
頭が大きいと、帽子を探すのに苦労したり、ヘルメットなんか大変ですよ。(^_^;)
そんな失礼なあだ名を付けたやつは、
石川一弥
と言います。
えぇーー、本名を出してもいいのか?
・・・って声が聞こえてきそうですがいいんです。
ホント、失礼な奴なんです。
でもそいつとは、今でも友達。
中学来の友は彼一人です。
中学生の時、彼はサッカーの中国遠征のメンバーに選ばれるほどのやつ。
大学卒業後は教師になり、高校でサッカーを教えていました。
私が広島大学に合格した時、新聞で私の名前を見つけた、おめでとう・・・と電話してきてくれました。
高校時代の3年間一度も連絡し合ったことがなかったのに、彼は私の事を覚えていてくれたんです。
昭和62年にこの善本歯科医院に戻って来てからは、彼のご両親や家族の歯科治療をしています。
平成14年夏に彼から入院したとの連絡を受け、お見舞いに行きました。
あんな元気だけが取り柄のやつが、怪我でもしたのかと、安易に思っていました。
でも、命に別状はないものの病状はかなり重く、心筋梗塞、そして糖尿病からくる失明の寸前でした。
残念ながら治療のかいもなく、その後まもなくして失明してしましました。
視力を失った体育教師。
とてつもない闇の中へ彼は引きずり込まれてしまいました。
そして彼のご両親と、家族もその闇の中へ・・・
ご両親が治療に来るたびに、
『一弥が・・一弥が・・・』
・・・と涙。
彼の奥様からある時こんなメールが、
『もう、駄目です。』・・・と。
視力を無くした頃、しょっちゅう私に電話してきていました。
泣き言は言わず、前向きな言葉ばかりでる彼を励ますことも出来ず、ただただうなずいて聞いているだけでした。
2008年7月23日の神戸新聞、再び教壇に立った彼の記事が掲載されました。
そんな彼が、明日の読売テレビの番組で特集されます。
ぜひ、見てください。
明日5時からの、関西情報ネットtenと言う番組内だそうです。
残念ながら詳しい時間はわかりませんが、宜しくお願いします。